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37件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2018-10-30 第197回国会 参議院 本会議 第2号

今から、古くなりますが、約五十五年前、昭和四十年、私が早稲田大学の三年生のとき、雄弁会幹事長を務め、その夏、大隈講堂河野一郎先生追悼演説会を開催いたしました。  このとき、河野派を継承いたしました中曽根先生のお言葉が、その颯爽とした雄姿とともに、今も私の脳裏に焼き付いています。  恩師中曽根は、我々学生に向かってこう言いました。

柳本卓治

2018-05-15 第196回国会 参議院 外交防衛委員会 第14号

戦後の北方領土の歴史をひもときますと、旧ソ連と我が国との国交回復交渉に御尽力され、日ソ共同宣言を取りまとめられた先哲であります河野一郎先生そして外務大臣であられました河野洋平先生に引き続きまして、河野大臣には引き続き日ロ間に横たわります厳しい懸案に取組を続けていただいているところでございます。  

杉久武

2015-06-10 第189回国会 衆議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 第8号

石橋湛山先生河野一郎先生、松村謙三先生三木武夫先生、こういう方々が日米安保条約の採決のときでさえも棄権や欠席をされております。  そこで、最後に外務大臣にお尋ねしますが、この戦後政治における宏池会の果たしてきた、いろいろな外交的な岐路がありましたが、その意義、そして、今回の法案、本当にこれでいいと思いますか。責任ある立場にいらっしゃる大臣のお考えをお聞かせください。

落合貴之

1994-10-26 第131回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第2号

池田治君 河野外務大臣のお父さんの河野一郎先生は、昭和二十年代の終わりごろロシアが初めて漁業制限をやってきたときに、単身モスクワに乗り込んで時の権力者と渡り合って、そして堂々と日本漁業資源量というものを獲得した先生だと私は認識しておりますので、多分その息子さんの外務大臣もそれ以上のことをやってくれるだろう、こう期待しておりますので、ぜひよろしくお願いいたしまして終わります。

池田治

1992-04-28 第123回国会 衆議院 国会等の移転に関する特別委員会 第6号

しかし、問題は、どこにこれを移すかというような問題も考えられるわけでありますが、昔、河野一郎先生があの筑波学園問題で、今筑波学園というのは相当な効果を発揮しておることは確かですが、あの学園都市をつくるについて、私も国土庁長官をやりまして、遅々として進まない、そしてあそこへ赴任をする人は単身赴任というような状況があった。

金丸信

1986-08-06 第106回国会 参議院 農林水産委員会 閉会後第1号

かつて河野一郎先生が食管問題のときに荒療治をなさろうとしましてあえなくつぶされたわけであります。全国列島農民の激しい怒りの中でつぶされたわけであります。  その後、大臣皆さん方は、役人の主導型、事なかれの大臣の方、最近になりましてだんだんしり上がりに学究型の大臣が出てきましたと思いますと、実力派大臣が今度あらわれてこられたわけであります。

浦田勝

1985-06-11 第102回国会 参議院 建設委員会 第12号

それは、率直に申し上げますと、昭和三十九年の五月ごろ、私が宮仕えをさせていただきました今は亡き河野一郎先生がその構想を打ち上げたわけでございます。それで、ちょうど河野さんが亡くなられましてから私が二十五代目の建設大臣でございまして、テープカットをさせていただいて非常に感銘を、ある意味では仏のめぐり合わせだなというふうな、そんな気持ちで受けとめさせていただきました。  

木部佳昭

1978-05-26 第84回国会 参議院 災害対策特別委員会 第9号

そうしたら開通するときに、数百人の人が日の丸を持って汽車の両側に立って拍手をして汽車を迎えたのでありますから、まあ汽車が通って日の丸持って万歳するくらいでありますので、これはやっぱり四カ月半とまったら大変なことだと思うんですが、私ども全く技術的にはわかりませんが、もっと短縮する方法が——一回、前の河野一郎先生が豪雪のとき私も現場でお供して話を聞いたんでありますが、現場へ行ったら、これは十日かかると言

長谷川信

1978-03-28 第84回国会 参議院 外務委員会 第8号

かつて河野一郎先生のもとにおって、河野先生が親ソ的な政策をとられたときに、あなたはそれに真っ向から反対された。そして河野派除名になったか除名になりかけたか、とにかく大騒ぎかあった。それからまた、この北京の問題を言うことか官民党でタブー視されておったときに、あなたは日中関係は推進すべきだと言った。そして党紀違反にかけられかかった。

玉置和郎

1977-04-13 第80回国会 衆議院 ロッキード問題に関する調査特別委員会 第6号

河野一郎先生池田内閣ができたときに新党をつくろうとされましたときに、河野先生が友人を集めて相談をなさいました。そのときに、当時河野先生指導下にあった私と森清代議士重政代議士がその席に招かれまして、新党をやるかやらぬかという話があった。そのとき私は、やるべきでない、そういうことを申した。その席に児玉譽士夫被告がおったと思います。

中曽根康弘

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